この度、森岡書店と共催で開催する【これは裸婦か、哲学か。戸田吉三郎 回顧展 】。
展示をより深くお楽しみいただくためのコンテンツ第2弾として、宮本武典さん(キュレーター/藝大准教授)と森岡督行さん(森岡書店 店主)の特別対談をお届けします。
東北各地ででアートプロジェクトや東日本大震災の大震災の復興支援事業を展開。『山形ビエンナーレ』を創設され、東京藝術大学では若き芸術家たちを導く宮本さん。森岡さんとは今までに数々の展覧会プロジェクトを手がけられました。
そんなお二人の視点から見る、画家・戸田吉三郎と氏の作品。そして現代における絵画、画家、そこにまつわる家族の物語とは…?テキストと音声でお楽しみください。
また11月9日(水)には、無印 銀座にてお二人の特別対談が行われます。絵画鑑賞がお好きな方はもちろん、画家という生き方や美術と時代の関わりに興味がある方にも必聴の対談になると思います。ぜひお越しください。(お申し込みはこちらから)
【プロフィール】
【音声でもお楽しみいただけます】
今回のきっかけについて
森岡:宮本さん、今日はよろしくお願いします。
宮本さんとはここ10年ぐらいですかね?数々の展覧会プロジェクトをご一緒させていただいているんですけれども、今回は自分からのお声掛けということで。
宮本さんとはここ10年ぐらいですかね?数々の展覧会プロジェクトをご一緒させていただいているんですけれども、今回は自分からのお声掛けということで。
宮本:あんまりないことですよね。
森岡:そうですね。
宮本:僕から誘うことが多かったから。
森岡:そうですよね。私がボールを投げる方で宮本さんが打つ方っていうことで、もしかしたら初めてのケースなのではないかなと思っております。
改めて戸田吉三郎という東京藝術大学出身の画家ということもありまして、宮本さんに戸田吉三郎についてお話を伺いたいなと思っております。
宮本:今日、ここも東京藝大ですね。
森岡:そうなんですよね。まさにここで何十年前なんですかね。戸田吉三郎も学んでいた。当時はまだ東京美術学校でしたかね。
どんなことを考えて藝大の学生として油絵に取り組んでいたのか、気になるところではあるのですが。そういった資料がほとんど残されていない。言ってしまえば謎の画家となるのでしょうけれども。
宮本:そもそも森岡さんはどうして関わることになったのですか?
森岡:私は普段一冊の本を売る書店というテーマで運営しているのですが、その中で戸田幸四郎※1という絵本作家と出会うことがありまして。最初は戸田幸四郎の『名作絵本集』、それを販売する機会がありました。その中で、その版元の戸田デザイン研究室の戸田靖さん(戸田デザイン研究室 代表)と様々な話をする機会があって。
宮本:そもそも森岡さんはどうして関わることになったのですか?
森岡:私は普段一冊の本を売る書店というテーマで運営しているのですが、その中で戸田幸四郎※1という絵本作家と出会うことがありまして。最初は戸田幸四郎の『名作絵本集』、それを販売する機会がありました。その中で、その版元の戸田デザイン研究室の戸田靖さん(戸田デザイン研究室 代表)と様々な話をする機会があって。
実はその戸田靖さんの伯父さんが戸田吉三郎にあたるのですが、こういう画家がいたんだという話を聞きました。
私も発掘したり調べたりすることが結構好きで、これまでも伊藤昊※2っていう写真家の写真集を出したりですとか。
宮本:銀座の写真集ですね。
森岡:そうですね。あと、日本の対外宣伝史の知られていない分野の書籍を集めてそれを本にして出版したりとか。※3そういった背景があったりするので、率直に言うと気になったんです。
宮本:じゃあ、まず絵本作家の企画から入って。その息子さんが戸田靖さんですよね?
森岡:ええ。
宮本:その息子さんの伯父さんだから…絵本作家の戸田幸四郎さんの弟さんにあたるんですか?
森岡:お兄さんにあたりますね。
宮本:お兄さんにあたるんですね。戸田兄弟の兄は画家、弟は…
森岡:デザイナーでいて絵本作家ですね。
宮本:たくさん戸田一族の名前が出てくるので頭の中で整理しなきゃですけど。
あと戸田一族は山形に所縁があると聞いて、単純に僕が話を聞いた時に森岡さんも山形の方だから、同郷という繋がりもあったのかなと思ったんですが。
森岡:それもあります。
戸田吉三郎の描いた絵は裸婦が多いのですが、宮本先生も仰っていたことだと思うんですけれども、その裸婦の曲線が山形の山々の曲線に近い…。そんなふうに思えなくもない。
まあ、その辺りからちょっとシンパシーがあったと言うのも確かにありますね。
宮本:そうなんですね。
この戸田吉三郎の今回の企画を作っていくという時に、僕を思い浮かべてくださったのは何故なんですか?
森岡:これはですね、やっぱり山形に縁があるということはあるのですが。
宮本:そうですよね。僕自身が山形に長く住んでいたので。
森岡:二つ大きな理由があるのですが、そのうちの一つはやはり今、宮本さんが東京藝術大学の准教授の任にあるということで、戸田吉三郎も東京藝術大学出身の油画の学生でしたから接点が何かしら見出せるだろうと。
ただ、戸田吉三郎はその後、もしかしたら東京藝術大学というものに背を向けた半生を送ったのかもしれませんけれども。その戸田吉三郎という者を、今、宮本さんがどんな風にとらえるのかということに興味があります。
あと、もう一つは武田鉄平※4さんの絵の存在が念頭にありました。宮本さんは武田鉄平さんだけではなく、これまで何人かのアーティストあるいはデザイナーを見出して世に送り出す一歩手前のお仕事をされたのではないかなと思っています。
その中で、私も武田鉄平さんのお仕事をご一緒する機会もあったのですが。もしかしたら宮本さんも何かこれまで触れられていなかった絵、作家を世に送り出す。そういった仕事に喜びを持っているのではないかと言う気がしまして。それが複合されて、ぜひこの機会にまた改めてと思った次第です。
宮本:ありがとうございます。逗子までね、行きましたね。誘っていただいて。
森岡:はい。夏の暑い日に逗子のアトリエを一緒に尋ねてもらったんですが。
※1戸田幸四郎(1931-2011):フリーデザイナーとして様々なデザインを手掛けた後、51歳で絵本作家に転向し、戸田デザイン研究室を創設。デザイン知育絵本の草分けと言われる。
※2伊藤昊(1943-2015):大阪生まれ。写真の専門学校を卒業後、フリーのカメラマンとなる。写真展を2度ほど開催するも、写真集を出版することもなく陶芸家に転身。生前、写真家としてその名が大きく知られることはなかったが、2020年に写真集『GINZA TOKYO 1964』が森岡書店より刊行された。
森岡:率直に聞きたいなと思うのは、宮本さんが戸田吉三郎という画家の作品、あるいは人生というものをどんなふうに思われたかということですかね。
宮本:はい。戸田吉三郎さんに関しては、森岡さんからお名前を聞くまでは全く存じ上げる機会がなく、不勉強な状態だったのですが。亡くなられてからたくさんの絵を残されて。それを生前あまり積極的に発表もされずに、ご家族がその暮らしを支えながらたくさんの絵が残されましたが、本人は88歳ですかね、亡くなられてしまわれたと。
森岡:そうですね。
宮本:残された絵をご遺族の方が、こういう画家がいたということを世に広めたい・残したいということで、このプロジェクトは森岡さんの元に運ばれたということだと思いますが。
そのストーリーを伺って「あれっ。」と思ったのは、この2、3年ですかね、僕の周りの画家たちが亡くなることが結構多くてですね。
森岡:ええ。
※3『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』:1931年から1972年までに出版された日本の対外宣伝グラフ誌を106点選美、刊行年ごとにその表紙と中ページを掲載、制作背景やスタッフなどの概要を紹介。(著:森岡督行 / 出版:ビー・エヌ・エヌ新社)
※4武田鉄平:画家。1978年、山形県山形市に生まれる。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業後、2001年にサイトウマコトデザイン室に入社し、2003年より滞仏。2005年に山形に戻り、東北芸術工科大学で樹脂、木工を学んだ。2016年に初の個展『絵画と絵画、その絵画とその絵画』を山形で開催。2019年『PAINTINGS OF PAINTING 武田鉄平作品集』(出版社 :ユナイテッドヴァガボンズ)を刊行。武田氏を見出した宮本武典氏も寄稿し、森岡書店にて出版記念展が行われた。アート関係者そしてクリエイティヴ関係者の間で大きな注目を集める。
※4武田鉄平:画家。1978年、山形県山形市に生まれる。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業後、2001年にサイトウマコトデザイン室に入社し、2003年より滞仏。2005年に山形に戻り、東北芸術工科大学で樹脂、木工を学んだ。2016年に初の個展『絵画と絵画、その絵画とその絵画』を山形で開催。2019年『PAINTINGS OF PAINTING 武田鉄平作品集』(出版社 :ユナイテッドヴァガボンズ)を刊行。武田氏を見出した宮本武典氏も寄稿し、森岡書店にて出版記念展が行われた。アート関係者そしてクリエイティヴ関係者の間で大きな注目を集める。
画家の死というもの
宮本:はい。戸田吉三郎さんに関しては、森岡さんからお名前を聞くまでは全く存じ上げる機会がなく、不勉強な状態だったのですが。亡くなられてからたくさんの絵を残されて。それを生前あまり積極的に発表もされずに、ご家族がその暮らしを支えながらたくさんの絵が残されましたが、本人は88歳ですかね、亡くなられてしまわれたと。
森岡:そうですね。
宮本:残された絵をご遺族の方が、こういう画家がいたということを世に広めたい・残したいということで、このプロジェクトは森岡さんの元に運ばれたということだと思いますが。
そのストーリーを伺って「あれっ。」と思ったのは、この2、3年ですかね、僕の周りの画家たちが亡くなることが結構多くてですね。
森岡:ええ。
宮本:自分の大学時代の恩師が癌で闘病されて亡くなられたとか、本当に最近も大学の同僚が亡くなられたりですね。自分も今47歳なので、年齢的にも自分の近い世代の方が亡くなったり、その上の世代の方が亡くなるという場面に遭遇することが増えてくるのですが。
僕自身の父親も研究者ですけれども、膨大な資料というか蔵書があって。今はもう高齢で記憶もちょっと曖昧になっていて、研究者として研究がもうできる状態ではないんですね。
そうなってきた時に大量の本だったり、彼が人生をかけて書き溜めてきた作品とか。それがどうなっていくのかなと言うのは、僕自身も当事者だし。亡くなった同僚や恩師のその後、その作品はどうなっていくのかなと言う事は関心事ではあったんですね。
でも最近いきなりそうだったわけではなくて、割と僕はこの美術に関わり始めた十代の頃から思っていたような気がするんです。
つまり芸術って一人の人間の人生を超えて長いその前の歴史もあったし、その後の歴史もあるし。ある意味、普遍性とか永遠性みたいなことを感じるわけじゃないですか。
たとえば美術館に行っても、ピカソもダヴィンチもとうにその肉体も精神もこの世にないけれど、作品は何100年と残り続ける。ゴッホとかゴーギャンも生きている間は全然認められなくて、死後有名になるみたいなストーリーがね。ちょっと美しい話みたいに語られがちですけれど。
自分がいざ美大に行って絵描きになりたいなって思っていた時に、「あ…なんか生きている間の自分が不幸なのに、自分の作った芸術はその後に評価されるとか…。それって幸せなのかな?」みたいなことはやっぱり思っていたんですよ。
生きている時間と死後に残っていく自分のドキュメントとしてのアートというのは、鑑賞者の目線から見るとそういうストーリーも含めて魅力的なものかもしれないけれど、そういうことに自分の人生が喰われたくないっていうんですかね。消費されたくないというか。そういうのは思っています。
だから学生に教えていても、ちょっと軽い言い方になるかもしれないですが「自分自身の幸せとは何か。」ということをちゃんと追求するというんですかね。暮らしであったり、関係であったりですけどね。そういうことを絵を描くことで犠牲にするのではなく、自分の暮らしを作っていくために絵を描くとか。
森岡:そうですね。
宮本:だから、そういう新しい芸術家像というか、当たり前の生業として絵を描いていく、その在り方。それをどうやって教えていったらいいのかなという事は、教育者としては思っているのですが。
絵描きの死ということで言うと、今回吉三郎さんの少し短い800字くらいのテキストを書いたのですが。自分がこれまで出会ってきた画家たちの死について結構長々書いちゃって、最終的にそれを全部ザクっと削って吉三郎さんについて書いたとこだけを残したんです。
森岡:最初に2000字ぐらい書いてくださった。
宮本:そうです。僕は武蔵野美術大学の油絵学科出身ですが、その当時の同級生が亡くなって。
自分が海外に行っていた時、まだ20代後半ぐらいだったかな。その子が亡くなったという連絡が突然あって。級友たちが葬儀の段取りであるとかしのぶ会とか、宮本くんは海外にいるから参加できないと思うけれど連絡しとくね。みたいな感じで連絡が来て。
すごく素敵な明るい女性だったんですが、その時「あ、やばいな」って思ったんです。 僕が19歳の時にその子にモデルになってもらって、その子を描いているんですよ。 80号の結構大きな絵で、真ん中にその子が立っていてこっちを見ているという。
別に恋人だったとかそういうことじゃなく、まあその子を描きたい。魅力的な人物だったので描いたんですけれど、その絵を捨てずにずっと持っていたんですね。
森岡:ええ。
宮本:海外にいるので実家に置いてあって。うちの母親がその絵をすごく気に入って飾っていたんですよね。その子は亡くなっているのに、絵がずっと残るというのはなんとも言えない気持ちになって。
それで一時帰国した時に庭で燃やしたんです、その絵を。そういう経験があって。
それは、そんなのを持っていると気持ちが悪いからとかそういうことではなくて。有限なひとりの人間の一生と言うものを絵の中に入れて永遠にしちゃうって、どうなんだろう?みたいに思っていて。今回の吉三郎さんに対する関心も、まさにそういうところにあって。
本人はそれをどうして欲しいとか多分そんなに無くて、描き切って亡くなったと思うのですが。残されたそれらの作品を、遺された人達はどう向き合っていったら良いのかということ。これはやっぱり本当に今日的なテーマだと思うんですよね。
しかもそれが美術史上のテーマというよりは、もっと家族の問題としてどう物語られていくのだろうということ。だからまず逗子のアトリエに行く手前の段階で、自分はすごく興味があった。
森岡:宮本先生の話を聞いていて、私もいくつか思ったことがあるんですけれども。
一つは宮本さんに声掛けをする時に、宮本さんがこれまで書いてきた文章というのも私はもちろん全部ではないですが、どちらか言うと読ませていただいている方だと思うのですが。言語化のことがありました。
どういう言葉を当てるか、同じ事象を言語化するのでも、やっぱりその人の語彙であったり、捉える側面であったり。それで大分違ってくると思うんです。
そういう観点からも、宮本先生の言語化というところに期待したというのは確かにあるなと改めて今思ったところです。
宮本:そうなんですよね。僕も美術史家じゃないし、美術評論家じゃないので。あくまで自分の限られた人生の体験の中、延長線上でしかその絵について語れないし、語るべきじゃないというか。
武田鉄平さんついて文章を書いた時もそうですが、それは自分なりの…。
誰かについて何か言わなくてはいけない時、本当に体系的に美術史とか学んだ人とか、それを専門にしている人は大きな歴史の中でその作品を位置づけられると思いますが、僕は僕ひとりが知り得る小さな歴史の中でその絵について語るということをものすごく意図的にやっていると思うんですね。
森岡:ええ、そうですね。宮本さんがとらえたその画家、あるいは何か事象の背景にある物語。もの自体ではなくて物語ですかね。もの自体はその情報だと思うんです。何年に描かれましたとか、絵画史の中でこういう位置付けができますとか、ご本人の年譜はこのようになっていますとか。
宮本:そういうのも大事ですけどね。
森岡:えぇ、大事なんですよね。でもそれを出されても(作品に)入っていけるかといったら、そうはならないような気がして。
やっぱり私はそれを見て「私のこれまでの経験とすり合わせてこんなふうに思います。」という描き方のほうがずっと読みやすいし、興味が持てると思うんですけれど。
宮本:今、小さな歴史と言いましたが、それは山形にいた時に民俗学者の赤坂憲雄先生※1。
森岡:今回のテキストにも書いていらっしゃいました。
宮本:ええ、実はA先生とアルファベットで濁してあるのですが、あれは赤坂先生なのですが。
いわゆるエスノグラフィーというか、そのインタビューを取っていく。で、その時代をその時代らしく生きた人の後ろに、実は大きな時代のうねりと言うものがあるんですよね。
僕自身の個人的体験だけれども、その後ろに東北の震災があったり、やっぱり大きく時代が動いていく中で、小さな人たちの歴史も作られていっているわけで。
だから個人的な目線で書いているようですけれど、それを通して大きなもの・大きなテーマに触れたいというのがあるんです。
ただ、大きなテーマをさも分かったように大きいままで書くっていうことに対して、ちょっと嘘っぽさを自分は感じてしまうんですよね。
今回で言うと、孤独死が増えてくる時代の中で、自分が亡くなった後、自分の家や集めている物や自分が蓄積してきた物たち、それは形がある・無いを含めて、それを継いでいってくれる人がいないと言うケースがものすごく増えてくると思います。ほとんどの人はそういう亡くなり方をしていくと。
森岡:うん。
宮本:そういう事が当たり前になっていく。もう10年ぐらい前から断捨離とか終い方とか終活なんて言葉が出ていますよね。
僕自身の個人的体験だけれども、その後ろに東北の震災があったり、やっぱり大きく時代が動いていく中で、小さな人たちの歴史も作られていっているわけで。
だから個人的な目線で書いているようですけれど、それを通して大きなもの・大きなテーマに触れたいというのがあるんです。
ただ、大きなテーマをさも分かったように大きいままで書くっていうことに対して、ちょっと嘘っぽさを自分は感じてしまうんですよね。
今回で言うと、孤独死が増えてくる時代の中で、自分が亡くなった後、自分の家や集めている物や自分が蓄積してきた物たち、それは形がある・無いを含めて、それを継いでいってくれる人がいないと言うケースがものすごく増えてくると思います。ほとんどの人はそういう亡くなり方をしていくと。
森岡:うん。
宮本:そういう事が当たり前になっていく。もう10年ぐらい前から断捨離とか終い方とか終活なんて言葉が出ていますよね。
だから画家たちもどんどん作品を作っていくけれども、その作っていったものはその後どうなる?と考えた時に、この吉三郎さんという人は本当に幸運と言うか。家族の関係が悪ければ作った物なんて捨てられてしまったり、理解もされないとうこともあると思いますし。
森岡:うん、そうですね。
宮本:実際逗子に行って、ご遺族の方にお会いしていろいろ話を聞いて。今の時代、またこれからやってくる時代の中の「人が死ぬ」という風景の中で、何というかとても好ましい、美しいことが今起こっているというか。それはもしかしたら30、40年前は当たり前のことだったのかもしれないけれども。
森岡:うん、そうですね。
宮本:実際逗子に行って、ご遺族の方にお会いしていろいろ話を聞いて。今の時代、またこれからやってくる時代の中の「人が死ぬ」という風景の中で、何というかとても好ましい、美しいことが今起こっているというか。それはもしかしたら30、40年前は当たり前のことだったのかもしれないけれども。
森岡:あぁ、なるほど。
宮本:大学に勤めていると図書館に行くと○○文庫みたいな感じで研究者の方が寄贈された本とか結構あったりするのですが。そういう仕組みも今どんどん構造的に難しくなって、美術館に寄贈すると言ってもなかなか大変だと思うんですよね。
だから、こういう事が起こり得るのだな。今の時代だから語る意味とか、関係性の美学的なものがふわっと見えているなという気がしました。
※1赤坂憲雄:民俗学者。東北芸術工科大学を経て、2011年より学習院大学教授に着任。東北という土地を文化、地理、歴史、経済など様々な観点で研究する「東北学」の提唱者として知られる。
戸田吉三郎と裸婦
森岡:もうひとつ、宮本さんには吉三郎が生涯のテーマとして掲げていた「裸婦」ということについても伺いたいなと思っているんですが。
戸田吉三郎は伝統的な裸婦というテーマで、油画を伝統的な素材で描いていますが。宮本さんは戸田吉三郎の裸婦というものをどのように観ていたのかをお聞きしたいところですね。
宮本:そうですね。今の時代らしくオリジナルを観る前に森岡さんがインスタグラムに上げた画像を先に見て、なんかいい感じの絵だなと思いましたけれど。いい感じという言い方も失礼ですが、惹かれましたね。
駅前とか広場とかに裸婦の銅像があったり、それが適切なのかという。今の時代、色々とコンプライアンス的にどうなんだとか。名前は言いませんけれど、僕らの学生時代に一世を風靡した写真家なんかがたくさんヌードを撮っていて、metooの時代になった中でそれを告発されて失脚したりとか。
本当にヌード・裸婦というのは、すごく難しいテーマですが。本当にちょっと前まではなんの疑問もなく、当たり前のように描いていたと思うんですね。
美術学校の風景の中であったことなのですが、日本画を教えている先生たちが「宮本さん、ちょっと日本画の講評会にゲストで来てくれないか。」と言われたんです。 「どうしてですか?先生方でご指導されたらいいんじゃないですか?」と言ったら「ちょっと私たちでは判断つかない作品が今年多くてね。」と言われて。
森岡:ええ。
宮本:基本、先生たちは全員男性ですよ。生徒は女性が多いですよね、圧倒的に多い。
僕も男性なので自分のことを棚に上げてという感じですけれど、美術大学の男女の比率、教員は男性が圧倒的に多いのに、生徒は女性が圧倒的に多い。ジェンダー指数的には非常に問題視されているのをご存知の方もいると思いますが、ご多分に漏れずその時もそういう状況で。
行ってみると何が起きていたかというと、ヌードが何点か、それが男性のヌードですね。 いわゆるBLと言われているボーイズラブの文脈で描かれているヌードで、それが日本画の伝統的な技法で描かれているんですよ。
森岡:うん。なるほど。
宮本:それをどう捉えていいのか、先生たちは分からないんですね。でも逆に言えば、当たり前のように男性が規定した美の原型としてのヌードを女子学生たちは今まで描かされてきたし。
その子は女子学生だったのですが、自分が綺麗だと思うヌードを描いて良いとなった時にボーイズラブの美しい、素敵な男性のヌードを描いたんですね。彼女はとても賢明だったので、美の原型として何の疑問もなく男達から裸婦というテーマを与えられ続けてきたということに対するひと噛みもあったと思うんですよ。
森岡:ええ。
宮本:だから今の時代にヌードを賛美するとか、ものすごく単純に自然的な人間の魂の魅力を感じるとか、自然の何ひとつ身に着けていない造形美を感じるみたいなことを言ったら、まあ炎上ですよね。何も考えていないねこの人は、となってしまうので。
だからすごく慎重に言葉を選んで、吉三郎さんのヌードとは言え語る必要があると思っていて。ただ本人は恐らくそういったジェンダー的な視点でヌードというものを一切考えていなかったと思うんですね。
森岡:考えていなかったでしょうね。
宮本:僕らの問題なんですね。僕らがそれを世の中に出すとき、紹介する時にどういう風に語るかだと思うのですが。現時点で自分の中でそれを正当化するような文脈を自分に見出せているわけではないんですけど。
ただ恐らくすごく単純な理由だったのだろうなという気がします。戦争が終わって軍国少年だった彼が、大きな社会の転換の中で「俺はもう自由に生きるんだ。」と。本当に自由奔放に生きたと思います。
家族もいろいろな経験をしたし、細かな話は分からないけれども、ある意味ヒッピー的というか。
森岡:はい、そうですね。
宮本:言い方が古いですが、無政府主義者的というか。本当に自由に社会の規範とかルールみたいなものではない生き方をされてきたと思うし。
その自由な彼自身の魂を受け継いで、甥っ子さんはデザイナーだったり、家族の中でもクリエイティブな生き方する人がたくさんいて。その中心に吉三郎がいたということはもう間違いないことだと思います。
そしてヌードですけれど、自由に描きたいものを描くという中で、一つのフレームとして東京美術学校(現在の藝大)がどう作用していたがわからないですけれども、ある意味ではずっと平坦に描く喜びを捨てずに描いてきた。
自分が描く動機だったり、描きやすいもの。関心のあるものとして女性のヌードというものがまずあったのだろうなと思います。
そこに今の時代を反映させてやろうとか、このモチーフになっている女性と自分の個人的な関係をこんなふうに表してやろうということはあまり無くて。 画集を見ていても、ヌードはヌードだけれど絵によって違った意味を持たせようと彼なりにいろいろトライしているような気配もある。
森岡:確かに。画風が大分違いますよね。年代なのか、どうなのか分かりませんけれども。
宮本:ただ、ひとつ共通しているのは、これが僕から見て非常にユニークだし、それをみんなで語り合うべき一つだなと思うのはその色彩ですかね。
森岡:ええ。
宮本:あの黄昏れた。
森岡:はい、あの緋い色ですかね。
宮本:自分が受験勉強で絵を描いていた時に、予備校の先生に「お前は裸婦を描いているけれど、今この絵の中の裸婦をカッターで切ったら血が流れるか?」とよく言われたんですよ。
それを思い出したというか。そういう意味での血の色では無いけれど、何かこう謎めいた…なんて言うんでしょうね。追憶とかそういうことでもないし、夕暮れの中に立っているというセンチメントでもないし。独特な温度、湿度というのですかね。
森岡:ええ。はい。
宮本:絵自体は単純な絵で、生きているようにその人を描いている生々しい絵ではないんですが。
吉三郎の中に女性性に対しての何か。ミューズとして自分の中でずっと消えることなく、ヌードを描き続けていたのだろうなあと。
でも、なぜ彼がそのように灯を消さずに独特な赤い色の中に裸婦を鎮め続けたのかということは、本人も語らなかったし、僕らも分かりようがない。
画集をめくってみてもタイトルも一切無いので、文学的な意味でのアプローチは全然できないわけですよね、情緒的な意味で。
だから観る人それぞれが仮説を立てて、彼の絵に漂っている不思議な気配というんですかね。それを読み解いていくしかない。
その事が今回の企画において重要なのかな?それぞれがそれぞれの想いを裸というフレームの中に投影していく。
森岡:私が吉三郎展に寄せた文章の一番最後は、吉三郎さんの絵画というのは鏡みたいなものではないかと書かせてもらったんですけれど。宮本先生が仰ったようなことが背景にあると私も思っています。
先ほどヌードの現代性に言及されていたかと思うんですけれど、ヌードが時代に合わなくなってきているのはあるなと思っています。写真家の仕事の仕方ひとつとってもそうだと思いますが。
そうして時代が移ってきた今、吉三郎さんのヌード・裸婦というものに対峙する運命になったんですけれど、自分自身、これからもっと吉三郎の裸婦に向き合っていくことになるんだろうと思うんです。そこからどんな言葉というんですかね?感想というんですかね?導くのか紡ぐのか、自分自身、関心がありますね。
宮本さんと逗子のご自宅にお邪魔した時、奥さまの順子さんの話を聞くこともできましたが、その中で順子さんは二人の間の会話のたたき台は鈴木大拙※1でした、とか。真理を求めていた、それを絵画で表そうとしていたとか。残された蔵書を見ても哲学の本などがね、結構あったりしまして。特にセネカ※2などを愛読されていた。
その事が今回の企画において重要なのかな?それぞれがそれぞれの想いを裸というフレームの中に投影していく。
森岡:私が吉三郎展に寄せた文章の一番最後は、吉三郎さんの絵画というのは鏡みたいなものではないかと書かせてもらったんですけれど。宮本先生が仰ったようなことが背景にあると私も思っています。
先ほどヌードの現代性に言及されていたかと思うんですけれど、ヌードが時代に合わなくなってきているのはあるなと思っています。写真家の仕事の仕方ひとつとってもそうだと思いますが。
そうして時代が移ってきた今、吉三郎さんのヌード・裸婦というものに対峙する運命になったんですけれど、自分自身、これからもっと吉三郎の裸婦に向き合っていくことになるんだろうと思うんです。そこからどんな言葉というんですかね?感想というんですかね?導くのか紡ぐのか、自分自身、関心がありますね。
宮本さんと逗子のご自宅にお邪魔した時、奥さまの順子さんの話を聞くこともできましたが、その中で順子さんは二人の間の会話のたたき台は鈴木大拙※1でした、とか。真理を求めていた、それを絵画で表そうとしていたとか。残された蔵書を見ても哲学の本などがね、結構あったりしまして。特にセネカ※2などを愛読されていた。
絵画をずっと描き続けたモチベーション、気持ちの中には、もしかしたら「この世界はなんだったのか。」というのを純粋に絵画で表現していこうというのが、吉三郎さんの中にあったのかなという思いがあって。
それを私たちはどんなふうにまた考えるか、言葉にするかというのがあるのかなと思っているので。
その二つかな、二重になっているということを吉三郎さんの絵画に対して私は思っています。そこから何か哲学を紡ぎたいのだけれど、被写体自体が持つ現代性が吉三郎さんの描いていた時のものとは別種のものになっているというところでしょうかね。
※1鈴木大拙(1870-1966):仏教哲学者。日本の「禅」を世界に広く知らしめた人物でもある。
※2セネカ(1870-1966):ルキウス・アナエウス・セネカ。ローマ帝政期初期のストア派哲学者。劇作家、政治家。
そこにある「私」の物語
宮本:家族の人たちがそれぞれ立ち位置が違うじゃないですか。父親と息子だったり、妻と夫だったり、甥っ子と伯父さんだったり、(森岡さんは)同郷の若者と先輩だったり。
僕みたいに全く何の関係もない。ただ美術とか、学校みたいなところで繋がっているみたいな。
例えば戸田靖さん。今回の回顧展を企画された甥っ子さんがそれこそ忌野清志郎の歌っていた「僕の好きなおじさん」的な感じで、吉三郎いかに自分が子供の頃に影響を受けたかっこいい伯父さんだったか、すごくニコニコして語られている隣で、息子さんはちょっと顔が止まっているなぁとか。
森岡:うん。
宮本:甥っ子だから見せられた顔もあるし、息子だから見えている父親の姿もあるし、妻としてこう見たい、見て欲しいというのがあると思います。
だから本当に、一人の人間・一つの絵を取り巻く感じ方もそれぞれ違うし、どれが良い悪いではなくて、それぞれにドラマがあると思うんですよね。
重要なのはそれでもその場にみんな集まって、亡くなった吉三郎さんについてそれぞれ語っていたというのはすごいなと思って。
森岡:確かに。それはすごいことですよね。
宮本:僕は本当に映画を見ているような感じ。こういう言い方をすると失礼かもしれないけれど、映画の中の一つの小道具として裸婦が立っているだけで、その裸婦を中心にして彼の周りのいろんな人生が小さなアトリエの一軒家の中で動いていた。
森岡:本当にそうですね。
宮本:それですべてを語ることはできないけれど、先ほど言った小さな家族、一人の画家が生きていたという歴史の中に大きな今の社会の家族の在り方とか、死の在り方みたいなものを見出すことができると思うんですね。
それがヌードであったか・なかったかということは、より踏み込んだディテールの話になるので、その語り手では僕も森岡さんも無いとは思うのですが。
もしかしたらもっと適切に東京美術学校の教育の歴史の中から、あるいは油画の教育の歴史の中で戸田吉三郎の功績・評価というのを構築できる人もいるかもしれませんが。
自分としてはアトリエに行った時に絵が何点かあって布がかけられていて、それを奥さまが外されていくのを見ていると、森岡さんが選んだ三点の絵がわかりやすく置いてあって。
その後ろに累々と絵が積まれているのだけど、それはみんな寝ている絵なんです。女たちは寝ているんですよ。
それで帰りながら「このヌードは起こさない方が良いな。」と思ったんですよ。寝ていてもらった方がいい。女たちが目覚めて「私は誰で、なぜヌードで、なぜ彼の前に立ったのか喋りましょうか。」と言い出すと、気持ち良い黄昏では済まなくなる。
森岡:確かに。
宮本:眠ったままのミューズたちの絵があって。それはある意味吉三郎さんもそこまで描き続けた、絵描きとしての生き方にこだわり続けたというのは、どこかで永遠性みたいなものー永遠性、普遍性みたいなもの。
自分が死んだ後もずっとこの絵がある。いつか評価されるかもしれない。周りがどう思うと俺は俺の芸術を成し遂げるんだ、というのがあったと思うんです。
それを奥さまも感じられているので、鈴木大拙とか真理とか、ある意味概念の話をされるのだと思うんですが。
絵に描かれたミューズたちも永遠性を夢見て眠っているというんですかね。それを僕らが本当の吉三郎はこんな人間だったとか、こんな物語があったと言って、無粋に起こしてはいけないなあっていうのがあったりして。
そういう見方もできるし、たくさん描かれた裸婦の中でもどの作品を持って物語るかでも違ったストーリーが出てくるし。美術という大きな権威的な語り口の中で語る語り方もあるのだけれど、もっと家族のドキュメンタリーとして見るとか、描かれた女たちの眼からその家族や画家を見てみるとか。見る角度によって、いろんな語られ方があっても良いし。
少なくとも吉三郎さんは世俗的な意味で権威主義者じゃなかった。賞を獲るとか、画壇で偉くなるとか、たくさんの人を教えて教え子に偉そうに振る舞うとか、そういう権威主義的な振る舞いが一切ない方だったので。
そういう見方もできるし、たくさん描かれた裸婦の中でもどの作品を持って物語るかでも違ったストーリーが出てくるし。美術という大きな権威的な語り口の中で語る語り方もあるのだけれど、もっと家族のドキュメンタリーとして見るとか、描かれた女たちの眼からその家族や画家を見てみるとか。見る角度によって、いろんな語られ方があっても良いし。
少なくとも吉三郎さんは世俗的な意味で権威主義者じゃなかった。賞を獲るとか、画壇で偉くなるとか、たくさんの人を教えて教え子に偉そうに振る舞うとか、そういう権威主義的な振る舞いが一切ない方だったので。
だからヌードという絵はすごく権威主義的なモチーフですよ。女性を剥ぎ取って目の前に立たせて描くということ自体。
森岡:なるほど。
宮本:今の目線で見ると「ん?」と思うけれど、でもその絵の中にはそういう世俗、権威主義に染まり切ってない生活者として生きて、魅力的な自由な男性だった。父親、夫だった彼の持っている素朴さだったり、純粋さみたいなものが読み取れるという意味において好感が持てるし。
「え、どんな人だったんですか?」とか「ご遺族にとってどんな存在ですか?」とかそういう事をいろいろ聞きたくなる。
きっとそこには何かいろんな物語がありそうだな、という気配があって。それは多分それぞれの父親と自分、母親と自分の関係だったり、自分は何を受け継いでいくのかなとか、自分がどんな美意識の中から作られていったのかなとか。
きっとそこには何かいろんな物語がありそうだな、という気配があって。それは多分それぞれの父親と自分、母親と自分の関係だったり、自分は何を受け継いでいくのかなとか、自分がどんな美意識の中から作られていったのかなとか。
それぞれが自分の物語としてどんなものが描かれているのかということに持ち帰れるようなケーススタディと言うと表面的ですけれど、そういう力を持った作品ではあるかなと思います。
森岡:今、宮本先生がお話くださったことが、今回の回顧展の持つ意味だなあと、今私は思ったわけなんですけれども。
作品をご覧になっていただければわかると思いますが、吉三郎の絵画には並々ならぬものがある。もしかしたら不幸な局面っていうものもあっただろうというのが伝わってくるのですが。
宮本さんの視点というのは、にも関わらずその中にもちろん希望もあるし、愛情もあるし、子供に何か訴えかけている父親としての姿もあると思うんですけれども。そこを見ていこうということなのではないかなと、お話を聞いていて思いまして。
森岡:今、宮本先生がお話くださったことが、今回の回顧展の持つ意味だなあと、今私は思ったわけなんですけれども。
作品をご覧になっていただければわかると思いますが、吉三郎の絵画には並々ならぬものがある。もしかしたら不幸な局面っていうものもあっただろうというのが伝わってくるのですが。
宮本さんの視点というのは、にも関わらずその中にもちろん希望もあるし、愛情もあるし、子供に何か訴えかけている父親としての姿もあると思うんですけれども。そこを見ていこうということなのではないかなと、お話を聞いていて思いまして。
やっぱりそういう視線は自分も大切にしていきたいなと、そういうふうな考え方を常々持ちたいなと思っているところなので、今回の回顧展の意義というのはそういうところにあるかもしれないですね。
宮本:回顧展と言うか、遺作展ですよね。亡くなった方の作品をご家族や親族の方が企画して見せるということの意味というのかな?それはすごく考えますよね。
芸術の持っている永遠性というものに対して、ひとりの人間・画家の人生はすごく短いわけですよね。ずっと家族が受け継いでいくことになる絵を通して、永遠と有限の狭間と言いますか…そういう事について思いを馳せるというんですかね。
誰しも死んでいくんですけれど、自分は何を残すのだろうとか、吉三郎は何を残したのだろうとか。今、目の前に広がっている横たわる緋い裸婦を一つの風景としてみんなで眺めた時に、それぞれがどんな思いを胸に受け止めるかというところは、この展覧会の成り立ちみたいなものーこれが遺作展で家族が企画したものであるのは大きく関わっているというか。
そういうことも含めて今回の展示の在りようなのかなと思っています。
関連イベント
特別対談「画布と裸婦:戸田吉三郎が遺したもの」
宮本武典(キュレーター/藝大准教授)× 森岡督行(森岡書店 店主)
日時:2022年11月9日(水)19時から
場所: 無印良品 銀座 6階
※イベントは終了いたしました。こちらから動画をご覧いただけます。
回顧展情報
・森岡書店
日時:2022年11月15日(火)ー 11月20日(日)
日時:2022年11月15日(火)ー 11月20日(日)
回廊時間:13時ー19時(最終日、18時まで)※入場無料
・文房堂ギャラリー
日時:2022年11月24日(木)ー 11月29日(火)
回廊時間: 10時ー18時半(最終日、17時まで)※入場無料
※文房堂ギャラリーでの展示の様子は、文房堂さんのバーチャルギャラリーでご覧いただけます。(公開は1ヶ月程度となります)
回顧展に関する詳しい内容はこちら
【戸田吉三郎回顧展 スペシャルコンテンツ】
▶︎▶︎▶︎森岡督行さんインタビュー