改めて戦争の恐ろしさ・悲惨さ・愚かしさを感じると同時に、日本が被爆国であることを再認識する機会も増えているように感じます。
そんな中、アメリカ大統領・トランプ氏は広島、長崎への原爆投下を引き合いに出し、イランの核施設への攻撃の正当性を主張するような発言をしました。
ロシアのウクライナ侵攻からもう3年が経ち、イスラエルとガザの争いも終結の気配がありません。
日々、世界各地で命が失われています。
SNSでは好戦的な気運を高めるため、虚実を織り交ぜた情報戦略が張り巡らされ、あっという間に拡散されていきます。
それを受けて、抑圧されていた悪心が吹き出すかのように、暴力や差別や搾取が顕在化しています。
国と国、人と人の間に大きな遺恨を残し、また新たな争いの引き金がひかれる準備を整えているようなものです。
さらに最新の武器はどんどん生まれて大きなビジネスとなり、政治的な駆け引きの材料にもなっています。
今、私たちが生きている世界で実際に行われていることです。
「結局、自分ひとりが戦争に反対したところで、為す術もない。」
そう思うのも無理もないことかもしれません。
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そもそも、戦争を考えるということは難しいものです。
その被害はあまりに大きく残酷で、今日着る服や夕飯の献立に悩んでいるような自分が声を発すること自体、憚られる気持ちにもなります。
さらに、戦争には必ず“政治的” “歴史的”という名目がついてきます。
政治的な目的、政治的な不一致、歴史的解釈の相違。
複雑な問題も含まれ、うかつに意見などできないと感じることもあります。
しかし、戦争という壮絶な暴力の行使が生み出すのは、新たな不信や憎悪であることを歴史が物語っています。
一体、私たち人間はこの80年で何を学んだのでしょう?
政治・歴史の役割はどこにあるのでしょう?
この先、何を信じたら、平和を望む心を守り続けられるのでしょう?
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戦争で犠牲になるのは、いつも普通に暮らしていた人々です。この事実に敵も味方もありません。
実際、私たちは連日のニュースなどで、戦禍に生きる市民の姿を目にしています。
彼らは戦場と化した地から「ただ平和に暮らしたいだけ」と振り絞るように訴えます。
これこそ、“戦争がもたらす真実”ではないでしょうか。
今、私たちが手放してはならないものは「個の力(ちから)」です。
戸田デザイン研究室は、人間一人ひとりの知識に基づく想像力こそ、平和を築く架け橋だと信じています。
自分の頭と心で考え、物事の本質を見極めること。
どの国に暮らす人々も、自分と同じ血が流れ、幸せを願って生きていることを忘れないこと。
子どもも大人も関係なく、人間として手放してはならない姿勢です。
この姿勢を「所詮、理想に過ぎない。」と片付けることは、人間を人間たらしめる大事なものを放棄することに等しいと思います。
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これから20年後の戦後100年には、世界はどうなっているでしょうか。
これ以上、世界から悲痛な涙が流れないように。
戦争の足音などかき消されてしまうくらい、世界が対話で溢れるように。
少しでも良い未来を残していけるような仕事をしていきたいと、強く心に誓う2025年の夏です。
私たちの作品についての考えなども、ぜひお読みください。
■『国旗のえほん』『完全版・国旗のえほん』
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