「知」の冒険家 アン・ヘリング先生に捧ぐ。

今年の3月、『和英えほん』『英和じてん絵本』『和英じてん絵本』など、戸田デザイン研究室の作品で英語監修を務めてくださった法政大学名誉教授、児童文化史研究家 アン・ヘリング先生が逝去されました。

ヘリング先生は長年にわたり木版出版を中心に日本・英語圏・独語圏の児童図書史の研究を続けられ、1973年には日本の児童文化の発展・向上に大きく貢献した方々に贈られるモービル児童文化賞も受賞されています。

日本の木版出版で先生が力を入れて研究されていたのが「おもちゃ絵」。「おもちゃ絵」とは江戸・明治期に実用品としてたくさん出回った錦絵のことをさします。(多くの方が浮世絵とも呼んでいると思いますが、錦絵とは多色刷りの木版画を指します。)
私たちにも馴染みの深い福笑いやスゴロク、着せ替え人形。さらには今で言うペーパークラフトのように切って貼って組み上げるものなど、様々な種類が存在します。

「おもちゃ絵」は立派な錦絵の一つとして受け止められるべきものですが、鑑賞品ではなく使って捨てられる実用品であるため、近年までその価値が見出されてこなかったそうです。
ヘリング先生はそんな「おもちゃ絵」を長年にわたり蒐集し、日本人の紡いできた文化史を伝える研究を重ねてこられました。

まさに日本の埋もれた文化に光を当てる貴重な研究に生涯を傾けられた先生ですが、ご自身のパーソナリティーや生き方そのものも大変魅力的でした。

少女のように純粋な好奇心を持った先生はとてもチャーミングな方でしたが、同時に知を求め続ける冒険家のような強さも兼ね備えていました。
先生が日本で研究に生涯を捧げるまでの経緯や、これだと思うものに突き進んでいく人生は一本の映画になるようなドラマに溢れ、様々な文化や人々への深い理解は苦難を超えた人にしか語れない説得力がありました。

そんな先生が残されたメッセージや生き方は、どんな時代でも前に進もうとする人たちに勇気を与えてくれる普遍的な力があります。

私も先生からたくさんの温かく、力強いメッセージをいただいた一人です。それは今も私を励まし、小さなこだわりから解放し、様々な場面で背中を押してくれます。

私の拙い文章でどれほどお伝えできるか些か不安ではありますが、先生への心からの感謝と尊敬を込めて「私たちの出会った、知の冒険家・アン・ヘリング先生」をここにお伝えしたいと思います。

戸田デザイン研究室
マネージャー 大澤 千早


アン・ヘリング先生。
清水港湾博物館(フェルケール博物館)で展示されたご自身の企画展にて。


雨と図書館の街、ポートランドに生まれて。

ヘリング先生は1940年、アメリカ オレゴン州ポートランドに生まれました。

「アメリカで住みたい街のトップに入る」と言われるほど、住みやすさに定評があるポートランド。古くから美術館や図書館などの文化施設も充実していて、豊かな自然に恵まれ気候も温暖。最近では環境問題などにも積極的に取り組み、様々なアーティストや工房なども多い文化の街として知られています。

先生もポートランドをとても愛していて、幼い頃の色々な思い出をお話しくださいました。
(秋から冬にかけて雨の続くポートランドで育った証として「私の手足には水掻きがあるのですよ〜。」と口癖のように仰っていたことも懐かしく思い出されます。)

数ある素敵な思い出の中でも、特に“先生らしさ”が詰まったこんなお話が強く心に残っています。

ご両親が読書家だったこともあり、幼い時から毎日のように図書館に通っていた先生は、ある時館内でペンギンにまつわる本を読んでいたそうです。

「この足の感じ…ペンギンの種類はなんだろう?気になる…。」
本に描かれたペンギンの絵をじっと見ていた少女は、ペンギンの種類が気になって仕方なくなりました。(当時先生は小学校に上がるか、上がらないかくらいの年齢だと思います。)

近くにいた司書をつかまえて質問してみたものの「うーん、わからないな。あの人に聞けばわかるかも。」と次の司書を紹介される。またしても「うーん、、難しいな。あの人に聞いて、あの本で調べてもらおう。」
このペンギン問題はなかなかの難題だったようで、次から次に担当や文献が変わり、なんと最後は館長の部屋で資料を見せてもらっていたそうです!

このエピソードを楽しそうに笑いながら話す先生の姿は、ポートランドの図書館で館長さんの部屋までたどり着いた「好奇心と勇気に溢れ、知りたいことを探求する少女」そのものにも見えました。

「小さな子どもの質問にも、そうやって真摯に向き合ってくださるなんて。素晴らしい図書館ですね。」と伝えると、先生は「まさにその通りです。とても素晴らしい図書館でした。」と懐かしそうな顔をされました。

こうして文化的に豊かな環境の中で溢れる好奇心とチャーミングな行動力を磨いた先生は、やがて人生を大きく変える日本文化と出会います。



■日本文化との出会い。

先生が日本文化と出会ったのは高校生の頃。学校の授業でアジア・太平洋の国々について学ぶ機会があり、歌舞伎や文楽をはじめとする日本文化に触れ、興味を抱いたそうです。

中でも高校生だったヘリング先生に強い印象を残したのが文楽(ぶんらく)。
「いつか実際に見てみたい。」と思っていると、偶然にも1962年のシアトル万博で大阪・文楽座の公演が行われることに。しかもこれは大阪・文楽座の海外初公演!幸運にも先生はこの公演を見ることができました。

その時の感想を伺うと、先生は目を閉じるようにして一言「素晴らしかったです…。」と仰いました。とりわけ先生の心を鷲掴みにしたのが、劇中のセリフから情景描写までを一人で語り分ける「太夫(たゆう)」。その独特で圧倒的な語り口に心を揺さぶられた先生は、日本語にも興味を持つようになりました。

様々な偶然に後押しされるように日本文化との出会いを果たした先生は、高校卒業後、ワシントン大学の東洋学部に入学。ここでまた「日本語の特訓クラス」と言う、先生の人生に大きな影響を及ぼす出会いがありました。

当時、大学では実験的に日本語特訓クラスを設けていたようで、参加を希望する生徒を募っていました。偶然その募集を見た先生は真っ先に応募し、数人のクラスメイトと共に日本語と格闘する毎日が始まります。
朝から晩まで特訓に次ぐ特訓!これぞスパルタ!途中に挟まれる休憩時間には疲れ果てて頭もフラフラとなり、大学の庭に集まるリスたちに餌をあげるのが唯一の癒しだったとか。

しかしこの授業のおかげで先生は揺るぎない日本語の基礎を体得します。先生ご自身も「本当に大変な毎日でしたが、あの授業には外国語を学ぶ大切なものがあったと思います。」とも仰っていました。

文化から語学と日本への理解を深めた先生は、その後奨学金で日本に留学。一度アメリカに帰りますが、もっと日本で学びたいと再度来日を決意。
行き帰りにかかる費用から住まいの確保まで、海外で研究を続けることは今よりずっと難しい時代だったと思いますが、先生の意志は文字通り堅かったのでしょう。それからずっと日本で研究を続けらたのです…。


■おもちゃ絵との出会い

日本の様々な文化に興味のあった先生でしたが、子どもたちのために作られた古い本にも関心を寄せるようになります。先生は資料を集めるために生涯愛して止まなかった東京の古書街・神保町、そして長く暮らした荻窪の古書店などに足繁く通いました。

そんなある日、古書の中から不思議な版画を見つけます。1枚の紙の中に色々な人や物がバラバラに描かた見たこともない版画。のりしろのようなものも描かれている…。
興味を持った先生が調べていくうちに、それが組み立てて作る「おもちゃ絵」であることがわかりました。

「おもちゃ絵」には様々な種類がありますが、版画に描かれた人や物をハサミで切り取り、立体的に組み上げて楽しむ「組上灯籠(くみあげとうろう)」と言うものがあります。それぞれのパーツにはのりしろも描いてあり、その繊細で緻密な世界はまさに江戸時代のペーパクラフト。

『忠臣蔵』などの歌舞伎の演目の一場面を組み立てるものもあれば、ひな祭りのひな壇グッズが細やかに描かれているものなど、当時の風俗・文化を鮮やかに伝えるとても面白いものです。

しかし基本が“切って、飾って、捨てるもの”なので、無傷で残っている版画はとても貴重。ハサミが入らずに残っているものはまさに奇跡の1枚です!!

「おもちゃ絵」の面白さにのめり込んだ先生は、そんな奇跡の1枚を蒐集しながら研究を重ね、様々な種類を持つ「おもちゃ絵」の豊かで奥深い世界を紐解いていくことになるのです。


先生の資料を2倍復元し、作られた組上灯籠『新版関之戸組上三枚続き』
造形作家 トニー・コール作



■苦難を越え、良縁を引き寄せるパワー

「おもちゃ絵」の研究にのめり込んでいった先生は、先生に必要な情報やネットワークを繋いでくれる古書店の店主、さらに児童文学研究家の瀬田貞二さん、そして歌舞伎の衣装や舞台芸術を手がけた高根宏浩さんをはじめ、様々な素晴らしい出会いにも恵まれたそうです。先生はその出会いに心から感謝されていました。

しかし同時にたくさんの困難もあったことは、先生が直接口にされなくとも お話の端々から感じることもありました。

そもそも浮世絵や錦絵、と言われると多くの人の頭に浮かぶのは葛飾北斎の風景版画や東洲斎写楽の役者絵など。「おもちゃ絵」は大衆向けの消耗品と言う見られ方もあり、資料を発掘することも難しいことから長らく光の当たらなかった分野でもありました。

さらに先生が日本で研究を始められた頃は、分野を問わず女性の活躍を阻む障壁も今よりずっと多かった時代。そして先生はアメリカ人。日本人ではない女性研究者が、日本でも知られていない日本文化を研究することへの視野の狭い考えも多く、苦い思いを味わうこともあったのでしょう。
それでも先生は自分の研究を導いてくれる素晴らしい出会いに力をもらいながら、自身の極めるべき道を突き進んでいきます。

人は出会いによって作られる、と言われますが、良い出会いを引き寄せるのもその人自身の力だと思います。

好きなモノ、コトに常に新鮮な目で向き合う純粋さ、探求を続ける意思の強さ、素直な心で他者と対する姿勢。これが揃えばある意味「無敵」だと思いますが、先生はまさにこの3つの要素を持っている方でした。だからこそ、たくさんの良い出会いに恵まれたのだと思います。


■ヘリング先生と戸田デザイン研究室

研究者であったヘリング先生と戸田デザイン研究室。両者の接点はどこにあり、何故弊社作品の英語監修をヘリング先生にお願いできたのか?それはズバリ、弊社代表 戸田靖が先生の教え子だったからです!

戸田が大学生の頃、英語の授業を担当していたのがヘリング先生。これを聞くと戸田はさぞや熱心な生徒であったのだろう、と思われますが…。当時戸田は大学の授業もそこそこに、サーフィンとアルバイトに明け暮れる若者だったそうで。ヘリング先生には補修授業と言う名の愛のムチをいただいたこともあったそうです。
(戸田が当時のことを語ると、先生はいつも大きな声で笑っていらっしゃいました。)

そんな"健やかな"大学生時代を過ごしていた戸田に、父・幸四郎から1つのミッションが託されます。それは『和英えほん』制作にあたり、英語を監修してくれる人が必要。大学に良い人はいないか?と言う内容でした。

それならヘリング先生にお願いしてみようと思った戸田は、直接先生にお願いに行きました。もともと少年少女に向けた古い本の研究もされていた先生は、一人の生徒からの意外な頼みを喜んで引き受けてくださったそうです。これが先生と戸田デザイン研究室のご縁の始まりとなりました。

外国語でも数字でも地図でも、何かを学ぶときにまず「楽しい!好き!」と心を震わせること。これは戸田デザイン研究室がずっと大切にしてきた考えそのものです。
そして長年にわたり、知の世界を探求されたヘリング先生も同じお考えをお持ちでした。それは『和英じてん絵本』で先生が書かれた あとがきからも強く感じられます。

『和英じてん絵本』あとがき抜粋】
何と言っても、この『和英じてん絵本』『英和じてん絵本』を楽しんで、英語・日本語を好きになって頂きたい。「好きこそ物の上手なれ」の諺の通り、それは言語を学ぶとき、もっとも大切なことである。

先生は『和英えほん』以降7つの作品で英語監修を務めてくださり、『22の色』では推薦文を寄せてくださるなど、長きにわたり戸田デザイン研究室のモノ作りを支えてくださいました。

明るく大きな視点で学ぶと言うことを捉えていた先生のお力をお借りすることで、戸田デザイン研究室の作品は更にオリジナリティ溢れる世界をお届けすることができたのだと思います。

先生が監修された弊社作品たち。




■心に羅針盤を持った人

先生を訪ねる若い人、レストランで接客をしてくれる店員さん、犬を連れた近所の方。先生は誰にでもオープンでフレンドリー。先生に話しかけられた誰もが思わず相好を崩してしまうようなチャーミングな方でした。

そして知識を求める人、何かを探求したいと願う人には本当に惜しみなく自分の知を分けてくださる方でもあり、私たち戸田デザイン研究室の仕事の本質を「おもちゃ絵」の世界からも語りかけてくださいました。

例えば貴重な「おもちゃ絵」を見せてくださる時、いつも「印字されている版元の印をよく見てください。」と仰いました。版元とは今で言う出版社。様々な工夫をこらし、絵師や彫師、摺師たちとともに作品を作り上げていった言わば私たちの仕事の前身でもある訳です。

さらに「おもちゃ絵」はデザインの観点から見ても面白いものばかり。子どもたちが遊ぶものでも一流の絵師が描いたものも多くあったそうで、そのクオリティは今見ても粋で洒脱!
動物や道具、服装など一つのカテゴリーのものを絶妙なデザインで所狭しと描き込んだ「もの尽くし絵」や歌舞伎の屋号と家紋が小さな団扇に描かれた「豆団扇絵」など、子どもや大人を問わず、時代を超えて人の心を動かす魅力が「おもちゃ絵」には詰まっています。まさにこれは戸田デザイン研究室が目指すモノ作り!

また、時に先生は政治や教育の有り方に強い意見を示すこともありました。それは人間が等しく持つべき権利や機会に根ざしたもので、アメリカから日本の先生のご自宅に送られてきた投票券を戸田に見せながら、民主主義の国アメリカの光と陰について熱くお話ししたこともあったそうです。

より良く生きるには「自分の軸を持つことが大切だ」と言われます。しかし実際に自分の軸を持つことは容易ではありません。心を動かす経験を重ね、世界に向かって心を開き、耳を澄ませることが必要です。

先生はそれを実践した方だったと思います。人生を賭して一つのことを突き詰め、社会や他者に対して耳を澄ます視野の広さを持ちあわせていた先生の軸は強く大らかで、いつも自由の香りがしました。
その軸はまるで羅針盤のように先生の行くべき道を照らし、周りの人たちにもまだ見ぬ景色を見せてくれたのだと思います。

右ページにあるのが「豆団扇絵」。
先生の著書『おもちゃ絵づくし』(玉川大学出版部)より




■人生は冒険よ!!

たくさんの示唆に富んだお話や、奥深い研究のストーリー。先生から伺った素晴らしいお話は数え切れませんが、同時にいつも思い出されるのは少女のような先生の姿です。

先生は動物や植物にも深い愛情を示していました。愛して止まない猫たちをはじめ、道に咲く草花、空を翔び交うツバメの親子を時間を忘れて笑顔で見守る姿は、生き物を愛する少女そのもの。
キラキラと光るものもお好きだったようで、私のスパンコールが付いたカバンを「キレイ、、とってもキレイ。」と呟きながら目を細めて見つめる様子は、まるで可憐な少女のようでした。

そうした姿だけを拝見していると、女性が海外で身を立てていくことが今よりずっと困難な時代に単身日本にわたり、様々な困難を乗り越えた女性の影はどこにも見えないように感じました。
しかし研究の話や教育の話になると一転。その粘り強さや「大事なことを伝えたい」と言うエネルギーは本当に大きなものでした。

ポートランドの図書館でペンギンの資料に目を輝かせていた少女の心を持ち続けたまま 生まれた国を飛び出し、日本という遠い国で自らの生涯をかけて研究に邁進した先生は、まさに「少女の心を持った冒険家」。先生を突き動かしたものはいつだって真っ直ぐな好奇心だったのだと思います。
短い時間ではありましたが、断片的にでも先生の歩んだ冒険を直接先生の言葉で聞くことができた私は本当に幸運でした。


そして教師と生徒、と言う関係から始まったヘリング先生と戸田。そのご縁は40年に及びました。20歳にも満たなかった頃の自分を知り、いつでもマイペースな先生の前では時にスタッフを震え上がらせる戸田も肩なし。先生も息子に向けるような優しい眼差しで戸田を見守っていることがよくありました。

時に親子のようでもあり、時に互いに生涯を捧げる仕事を持つ同志のようでもあり…。先生と戸田との間には教授と教え子という関係を超えた、不思議な絆があったように感じます。

先生が旅立たれた後、戸田がポツリと「先生にはあそこまで好きなことを突き詰めた人にしか語れない強さがあった。説得力があった。こうしていなくなってしまうと、余計にそれがよく分かる。本当に見事だった。」と呟いていました。

あの人は●●だったから幸せだったとか、充実していたに違いないとか、他人の人生を容易に測ることなどできないものだと思います。しかし自分のすべてを捧げるような好きなことを見つけること。それは人生を最高の冒険にしてくれる切符を手にすることだと、先生は私たちに教えてくれました。

そんな先生の生き方を見て、私たちの作品も手にしてくださる方たちの冒険=人生を豊かにするものでありたい。その願いは一層強くなりました。

先生に出会えた戸田デザイン研究室は、本当に幸せでした。先生がお元気な時に、先生の研究と先生ご自身の魅力をお伝えする機会を戸田デザイン研究室が作りたいと考えておりましたが、その夢を叶えることができなかったことが悔やまれます。
もうお会いできない寂しさを思うと今でも涙が溢れますが、先生の残してくださった研究、メッセージ、温かい思い出の中で何度でも先生に出会うことができると思っています。そして私たちにできる方法で、先生からいただいたものを語り継いでいきたいと思っています。

最後に、40年間先生の生徒であった戸田からのメッセージを持って、私たちの感謝のことばとかえさていただきます。


アン・ヘリング先生へ

私の中のヘリング先生は、今でも、いつでもユーモアに溢れ、饒舌で、元気で、笑っていらっしゃいます。

ヘリング先生が、進路に悩む私の次男坊にかけてくださった言葉「人生は冒険よ!」。私も忘れません。これからたくさんの冒険をしようと思います。見ていてください。

40年もの長い間、もう感謝の気持ちしかありません。ありがとうございました。

戸田デザイン研究室 代表 戸田靖


先生と弊社代表  戸田靖。ラブリーな一枚。


【Ann Herring アン・ヘリング】
法政大学名誉教授。児童文化史研究科。
米国オレゴン州ポートランド生まれ。ワシントン大学卒。在学中にスタンフォード大学日本研究センターに留学。
木版出版を中心に日本・英語圏・独語圏の児童図書史の研究を続けた。1973年にモービル児童文化賞(現JXTG児童文化賞)を受賞。

著書に『千代紙の世界 』(講談社インターナショナル)、『おもちゃ絵づくし』(玉川大学出版部)、翻訳に『猫のフォークロア 民俗・伝統・伝承文学の猫(誠文堂新光社)、『ハンプティダンプティの本 イギリス・アメリカのわらべうた(集英社)など。

 ヘリング先生(監修・あとがき)戸田デザイン研究室 著書一覧


■2020年に催された先生の企画展についてはこちら

■先生の著書『おもちゃ絵づくし』(玉川大学出版部)についてはこちら


※参考文献、サイト
『おもちゃ絵づくし』著者:アン・ヘリング 発行:玉川大学出版

・杉並区公式情報サイト すぎなみ学倶楽部 「道を究める アン・ヘリングさん」

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