『あいうえおえほん』という一冊の絵本から始まった戸田デザイン研究室。
1990年の会社設立から今日まで、会社の歩みについて語ったことはほとんどありませんでした。
創業者であり作家であった戸田幸四郎とは、一体どんな人物だったのか。どんな思いで絵本を作っていたのか。そしてこれから戸田デザイン研究室はどこへ向かうのか。
父である戸田幸四郎亡きあと、代表を務める戸田靖が様々なエピソードを交え、戸田デザインの「これまでとこれから」について語ります。 (聞き手:広報 大澤千早)
作りたいモノを作る。それが、絵本だった。
ーー スタッフの私が言うのもなんですが、戸田デザイン研究室はその成り立ちから始まり、ちょっと謎が多いですよね。
そしてそもそも、戸田幸四郎ってどんな人?戸田靖という人は、息子なのよね?とか。そういう疑問をお持ちの方も多いのでは…。
戸田 確かに、そう言われればそうだね(笑)。会社の歩みなんて、丸ごと語ったことはないしね。
ーー 設立から約30年、謎に満ちた戸田デザインヒストリーを紐解いていきましょう。
戸田 なかなか壮大だな(笑)。昔のことなんて、ちゃんと覚えているかな。
ーー 順を追っていきましょう(笑)。
戸田デザイン研究室の創業は1982年。これは戸田さんのお父様でもある戸田幸四郎さんが『あいうえおえほん』を出版された年ですね。
【代表を務める 戸田靖。弊社事務所にて。】 |
ーー 会社設立は1990年となっていますが、これは?
戸田 その年に会社として法人化し、私が本格的に戸田デザイン研究室で働き始めました。
ーー 幸四郎さんが絵本を出版したのは『あいうえおえほん』が初めてなんですよね?
【戸田デザインの原点 『あいうえおえほん』】 |
ーー 絵本の前に図表ですか?それは出版物として作られたものですか?
戸田 いやいや。初めは、幸四郎がまだ幼かった兄と私のために手作りしたものです。壁に貼って見るもので、大きな紙に五十音が幸四郎の直筆で書かれていました。
ーー 絵のない『あいうえおえほん』のような?
戸田 まぁそれに近いよね。これが結構評判が良くて、家に遊びに来たお友達の親から「うちにも欲しい」と言われることが多かったんです。
幸四郎はその反応を見て「これは売れるのではないか?」と思ったんでしょうね。商品化して、たくさん作って幼稚園に売りに行っていました。実際に良く売れたんです。最初は文字だったけど、地図バージョンも作ってね。
当時私は中学生くらいでしたけど、図表をくるくる丸めて製品化する手伝いをさせられたのを覚えています。
ーー 『あいうえおえほん』の前に図表シリーズ販売という、前フリはあったんですね。
幸四郎さんが初となる絵本、『あいうえおえほん』を出版したのは51歳。それまではどんな仕事をされていたのでしょうか?
幸四郎さんが初となる絵本、『あいうえおえほん』を出版したのは51歳。それまではどんな仕事をされていたのでしょうか?
戸田 色々なデザイン関係の仕事をしていました。最初は看板屋の仕事からスタートして、それこそ銭湯の絵なんかも描いたそうです。その時レタリングの技術も習得したと話していましたね。
酒造メーカ―や百貨店の宣伝部に所属していた時期もありました。
酒造メーカ―や百貨店の宣伝部に所属していた時期もありました。
ーー 看板から百貨店…。本当に色々なデザインの仕事をされていたんですね。
幸四郎さんは山形県 尾花沢市の出身。和菓子屋さんのお家に生まれて、農学校を卒業されたと伺いましたが、美術系の学校に通ったりはしなかったのですか?
幸四郎さんは山形県 尾花沢市の出身。和菓子屋さんのお家に生まれて、農学校を卒業されたと伺いましたが、美術系の学校に通ったりはしなかったのですか?
戸田 通っていないですね。絵もデザインもすべて独学です。色々な仕事を通して、様々なタッチを身につけたようです。
ーー 確かに作品群を見ても、同じ作者とは思えないくらい色々な絵のタッチがありますよね。
【愛らしいイラストから迫力ある油絵まで。】 |
ーー デザイン関係の仕事に進まれたのは理由があったんでしょうか?小さい頃から絵を描くのが好きだったとか…。
戸田 理由をはっきりと聞いたことはないんだけど、幸四郎のすぐ上の兄・吉三郎の影響は大きかったと思います。
吉三郎は洋画家で、フランスにも留学していたとてもモダンでオシャレな兄貴で。 幸四郎はこの兄を頼って上京しました。(戸田吉三郎についてはこちら)
ーー デザイン関係の職を色々と経験し、最終的にはフリーランスで仕事をされたんですよね?主にどんなデザインをされていたのでしょうか?
戸田 飲食店やブティックなど店舗デザインの仕事が多かったですね。とある市の駅前の都市計画に加わったりもしました。結構、売れっ子で幅広く仕事をしていましたよ。
当時は幸四郎ひとりで仕事をしていましたが、その時の社名が【戸田デザイン室】。
『あいうえおえほん』の出版を機に【戸田デザイン研究室】としましたが。
ーー そうなんですね!室から研究室に…。そんなプチ変遷があったとは。当時、絵本を扱う会社で【デザイン研究室】という社名は珍しいですよね。
戸田 最初はもっと児童書出版社らしい社名も候補に挙っていたんです。もうちょっと可愛らしい感じのが。
ーー なぜ、そちらを選ばなかったんでしょう?
戸田 恐らく、「出版社を始める」という意識が幸四郎の中になかったんだと思います。
ジャンル云々ではなくて、自分の作りたいモノを作っていく。それがたまたま絵本だったというだけで。特に絵本作家になりたかった訳でもないと思います。
だから、いかにもという雰囲気の社名はつけたくなかった。そういう思いもあって【戸田デザイン研究室】としたのだと思います。
【戸田幸四郎 静岡のアトリエにて】 |
【その2】すべては感覚が…
【その3】父との仕事で……